ヨンマルマル

四百字詰原稿用紙一枚分の雑記

色とりどりのプロパガンダ/『ライフ・イズ・カラフル! 未来をデザインする男 ピエール・カルダン』

 存命人物のドキュメンタリーを製作するのは、難しいことだと思う。なぜなら、その人物自身の「直接的/間接的」介入を防ぎようがないから。前知識ゼロでなんとなく観たが、色々考えさせられた。
 ピエール・カルダンという、世界的に有名なファッションデザイナーの軌跡を追った本作。高級注文服(オートクチュール)から既製服(プレタポルテ)への道を開き、現代的なファッション消費を確立。輝かしく偉大な業績。それは分かった。しかし、それ以外のことがまったく分からない。
 ブランドプロパガンダ、あるいは壮大な自慢話。いじわるな見方かもしれないが、そんな印象だったのだ。全体のストーリーが無いこと(エピソードの時系列もバラバラ)に加えて、ランダムに本人インタビューが挿入(=直接的介入)される構成の所為だろう。監督さんは何を思ってこの作品を撮ったのか。ただ「良いこと」だけを切り貼りしても、良いことは伝わらないのではないか。(四〇〇字)

戦争に間に合う/『この空の花 長岡花火物語』

 戦争のことなんて知っている。学校で習った。本で読んだこともある。半世紀以上前に悲惨なことがあった。だから繰り返してはいけない。……こんな風にして、理解した気になっていました。なんという浅はかな態度であることか。本作で描かれた長岡空襲のこと、何も知らなかったのに……。
 大林監督の『海辺の映画館』の感想を伝えた幾人かから、絶対に観た方が良いと薦められた『この空の花 長岡花火物語』。現代の人間が戦争の記憶と直接体験的に向き合うというプロットは両作に共通しており、また「次の戦争(の抑止)に間に合うように」というメッセージも通底している。
 遺さなければ残らないという、当たり前のことについて改めて考える。B-29の轟音も焼夷弾の恐怖も、意思を持って残さなければ忘れさられてしまう。創り手はもとより、受け手も確かに胸に刻み、それらを次世代に伝えねばと思う。ただの受け手にも、伝えていくことは、できるはず。(四〇〇字)

第四の壁を壊し、観客を殴る。グーで殴る。/『海辺の映画館―キネマの玉手箱』

 映画にできることってなんだろう。大林宣彦監督は、本作『海辺の映画館―キネマの玉手箱(英題:Labylinth of Cinema)』を通して「それは、未来を変えることだよ」というメッセージを遺された。と、思う。
 戦争のことを知りたい、と銀幕に消えた少女を追って、三人の青年が映画の中へ飛び込む。様々な戦争に関連する映画作品の登場人物として、少女と青年たちは生きて死ぬ。そして繰り返し問う。「これが戦争なの? これで良いの? 本当に良いの?」
 メッセージ性というかメッセージだけで構成された作品だ。「戦争を無くせ、未来を変えよ」という直言。劇中劇と劇本体と劇の外がぐちゃぐちゃにかき回され、すべての壁という壁は壊される。やがて、観客の自分は素っ裸の状態で大林監督にグーパンチされる。この愚直なまでのストレートさが、2020年のいま、一番必要なことなのではないか。騙し誤魔化し衒いの無い、真摯な一撃が。(四〇〇字)