ヨンマルマル

四百字詰原稿用紙一枚分の雑記

タクシー運転手 〜約束は海を越えて〜

 ポスターのソン・ガンホさんの笑顔に騙されてはいけない、これはタクシー漫談ではない。仕事の関係で薦められてユジク阿佐ヶ谷にて。1980年に韓国で起きた光州事件という民主化弾圧と虐殺事件、その実態を取材しようとしたドイツ人記者(トーマス・グレッチマン)と、彼を乗せて現地入りしたタクシードライバーソン・ガンホ)のお話だ。実話をもとにしたフィクションである。
 何かが起こっている、しかしその何かがよくわからない……という演出が秀逸。主人公たち(タクシードライバーと記者)は、中盤まで何が起こっているのか把握できていない。そればかりか、光州の人たち自身も実は、何が起きているのかわかっていない。だから、緊張感のない日常描写と銃声や軍靴が、劇中で思わぬ交錯をする。
 実際に事件や事変、あるいは戦争が起きるとき、私達はどれぐらい自覚的であれるのだろうか。本作は「あなたは気づけますか?」と、鋭く問うてくる。(四〇〇)

カメラを止めるな!

 ライムスターの宇多丸さんが誉め、伊集院光氏もラジオで激賞。「観に行かないという選択肢がない」という謎のプレッシャーに駆られ、公開劇場が増えたタイミングでTOHOシネマズ新宿にて。
 とにかく「映画が好き」という愛に溢れ返った作品だった。撮るのも観るのも演るのも好きだからつくりました! と叫ぶ監督の、演者の、スタッフのパトスがスクリーンから迸ってくる熱作。こんな風に愛される映画は幸せだし、自分も自分の仕事を負けないように愛してみたいものだと、しみじみ思う。いや、そうせよと背中を蹴飛ばされているのだろう。
 ネタバレなしで感想を述べるのが鑑賞後のお作法のようなので、ふわっとしたことしか言えないのだけれど、対象が概念でも愛の言葉は届くことを本作は証明してくれている。
 鑑賞後に思い出したのは『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』と『木更津キャッツアイ』だということを、いちおう付記。(四〇〇)

寒い国から帰ってきたスパイ

 ル・カレ初読。007をはじめとしたスパイもののプロットの教科書のような作品だった。

・汚名をそそぐために頑張る主人公
・日常世界を象徴するヒロインとのロマンス
・ライバルとの友情
・拷問
・愛と死

 箇条書きすると、以上のような。
 21世紀に読むと斬新なのは、冷戦当時にはマジでインターネットもスマホも何もなかったことで。作中世界は1950年代末から60年代なので、諜報資金の送金すらアナログで。そりゃ疑心暗鬼にもなるし騙し騙されの世界にもなるなあと、変な感慨が。
 読みやすい作品ではないし、ジェームス・ボンドみたいなアクションはない。むしろ全体の半分ぐらいは尋問と供述の描写である。辛いといえば辛い。ただ、ラストシーンをはじめ、いくつかのシーンは名画そのもののように美しい。行動や思想がアナログに制限されている時代だからこそ、発揮される美しさ。その美しさを楽しむために読むのも、良いのかな。(四〇〇)

 

寒い国から帰ってきたスパイ (ハヤカワ文庫 NV 174)

寒い国から帰ってきたスパイ (ハヤカワ文庫 NV 174)