ヨンマルマル

四百字詰原稿用紙一枚分の雑記

万引き家族

 何が凄いって「万引きなどしなくても生きていける」家族を描いていること。観終わって、感想漁りをしているときにそのことを教えられて「うわああ」となりました。「万引きしないと生きていけない貧困層」の物語ではない。だからこそ余計に、苦しい、醜い、美しい。
 綺麗は汚い、汚いは綺麗の極致。家族が住んでいる陋屋の汚いこと美しいこと。浴室の造形すごかった。あとは夏と素麺とセックス。ただただ圧倒されました。すべてが良すぎる。
 キャストは全員超絶技巧でしたが、ナンバーワンは安藤サクラ。「捨てたんじゃない、拾っただけ」という作品テーマそのものであるセリフは重い(対峙しているのが池脇千鶴だということにも、ゾクゾク)。また、何も喋らないときの瞳の演技にも震える。
 こうした作品が「日本の映画」として世界に公開され、かつ大きな評価を得ていること、誇りに思います。万引きから生まれた家族だから、偽物なわけでは、ない。(四〇〇)

未来のミライ

 シンプルにつまらなかった、というのが最大の感想だ。ものすごくわがままな四歳児が主人公の、ややファンタジー風味がまぶされたホームビデオ。他所のご家庭の育児に興味は持てなかった……。
 本作を観て考えたのは、自分は映画館で何を観たいのだろうか、ということだ。血湧き肉躍るアドベンチャーや誰もが涙するラブロマンス、そうした活劇だけを観たい……わけではない。リアリティ志向の映画だってドキュメンタリー映画だって、観たいときはみたい。ただ、この『未来のミライ』には自分が観たいと感じさせられるものがなかった。皆無だった。(未来の東京駅の造形は素晴らしかったが、あくまでそれは部分だ)
 細田守監督は、この作品を誰に向けてつくったのだろうか。誰に見せたかったのだろうか。この映画を観た人に、どうして欲しかったのだろうか。分からない。未だに分からないし、そこから来るイライラが、観ている間、ずっと付きまとっていた。(四〇〇)
  

彼女がその名を知らない鳥たち

 蒼井優がクズ女を演じ、相手役を阿部サダヲが務める。それだけで観たかった作品。
 期待は裏切られず。生臭くて温かい、腐臭がプンプン漂う映画だった。
 綺麗、美しい、カッコいい。他人に自慢できる何かに囲まれて生きていたい、などと考えるのが人間の性。けれど、綺羅綺羅なだけではいられない。だって私たちは、飲んで食って性交する糞袋だもの。かつ私たちは面倒臭い脳味噌のある生き物なので、物事が常に反転する。きれいはきたない、きたないはきれい。だとしたら、人を愛することは、きれいなことか、きたないことか……どっちなのか。本作は問うてくる。
 セックスシーンと食事のシーン、それぞれのバランスがみごと。中でも強く残るのは、かきあげうどんやすき焼きなど、日常的な食事シーンだ。朝井リョウがラジオで言っていた「食事をする光景を人に見せるのは、セックス見せるのより恥ずかしい」という言葉が、ようやく理解できた気がする。(四〇〇)