ヨンマルマル

四百字詰原稿用紙一枚分の雑記

ジーザス・クライスト・スーパースター

 10代前半の頃にテレビで放送していたのを見た記憶があった。しかし、観直してみたら全く内容を憶えていなくてびっくり。
 ジーザス・クライストとは何者か、彼は何を為したかったのか。この2つを問う作品。作中で回答が示されるわけではない。むしろ、こういう問いを持っているのだと示す作品であるというべきか。ともすると深淵&深刻になりがちな宗教的命題を、ロックミュージカルにすることで、シンプルで身近なものに再構成するという試みは素晴らしい(軽薄なものにしているわけではない)。かつ、欧米の人たちも、ジーザスの存在が自明で無謬のものではなく、むしろたくさんの問いかけをしたいと考えていることに、素朴な驚きを持った。併せて、宗教というのは物語の消費から生まれるものだということも、再認識。
 タイトルのスーパースターは、一種の皮肉なんだと思う。少なくとも劇中のジーザスは、スーパースターになれなかった男だったから。(四〇〇字)

 

 

 

レ・ミゼラブル

 母が『ああ無情』を好きだった。しかし、それがどのバージョンの『レ・ミゼラブル』なのか、もはや記憶が定かでない。今回は2012年版のミュージカル映画について。
 大革命後、19世紀のフランス・パリはこんなに貧しかったのか! という印象がエンディングまで続く。一部の登場人物を除いて、身なりはドロドロで髪はぼさぼさ(特にテナルディエの宿屋!)。でも、それだけ貧困が蔓延していたから、国王殺しの市民革命が成立したんだろうな。本作のジャン・バルジャンは超人なので、むしろ助演のジャベール警部やエポニーヌに目がいく。特にエポニーヌ! 両親のテナルディエ夫妻は悪人でクズだし、大好きなマリウスは振り向いてくれない上に鈍感無神経。なのに献身的な愛を尽くす彼女の姿と歌声は美しい。聞いた話だけれど、ジャベールがラストシーンに出てこないのは、自殺をしてしまったからだそうな。彼が救われないことに関しては一抹のもやもや。(四〇〇)

 

JAGAT

 カンボジア映画の『ダイヤモンド・アイランド』に続き、東京外大の上映イベントで観たマレーシア映画『JAGAT/世界の残酷』。1990年代初頭、マレー半島の貧しいタミル語コミュニティで育つ小学生の少年と彼の父母、そしてギャングになった叔父とジャンキーになった叔父を巡る、お話。
 マレーシアのことを詳しく知っているわけでは無いけれども、貧困と暴力と切実さから生まれる光景は、日本にもかつては(あるいは今も)容易に見られる光景だったのだろうなと、そんなことを考えながら観ていた。全く同じ主題を持った日本映画、探せば簡単に見つかる気がする。いや、アメリカ映画でも同様か。「原付に乗っている奴がつけている時計は高級には見えない」というギャングのボスのセリフと、マイノリティであるはずのタミル系の人たちが移民のバングラデシュ人を迫害するシーンには、共通した哀しみを感じた。弱いものは夕暮れ、さらに弱いものを叩く。(四〇〇)

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