ヨンマルマル

四百字詰原稿用紙一枚分の雑記

スヴェタ

 東京国際映画祭にて。カザフスタンの女性監督の作品。聴覚障害者の子持ち女性スヴェタが職場を解雇されて住居を追い出されそうになったため、殺人を犯して金を手に入れて、生き延びていくお話。
 しんどい。吃驚するぐらいしんどい。まず手話で会話が進行するので音が少なく、かつBGMもほとんど入らないので緊張感がすごい。また、何も起こらない長回しのシーンが複数出てくる。それが余計に緊張を増す効果になっている。更に出演しているのは本物の聴覚障害者だ(後でわかったことだが)。リアリティではなくて剥き出しのリアルだった。面白かったのか、面白くなかったのか、それすらよくわからない。
 特筆すべきことがひとつ。スヴェタが老女殺しを宣言したとき、会場から笑いが起きた。きっとみな、緊張に耐えられなかったのだと思う。その笑いが起きたときは、この会場の人々が作品をコメディとして捉えているのかと勘違いし、愕然としたけれども。(四〇〇)

http://2017.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=27

Ank: a mirroring ape

 SFやファンタジーといった作品を強烈に定義するのは単語だ、神は細部に宿る。だから「京都暴動(キョウト・ライオット)」という言葉を創造した時点で、この作品は勝利している。京都という語と暴動という語の取り合わせの悪さ、ゾクゾクする違和感、素晴らしい。
 とはいえ。それ以上でもそれ以下でも無い作品であったというのも、素直な感想。太秦を、金閣寺を、京都御苑を背景に暴走するライオッターたちは刺激的で、『アイアムアヒーロー』の清水寺を想起させたり『GANTZ』大阪編を思い出させたりするのだが、それらの作品以上にジャンプはしていない。
 カタルシスが欲しかった。未曾有の災厄を人類が打ち倒す様が読みたかった。ベタな展開と言われればそれまでだが、ベッタベタを期待したのだ。いけないことだろうか。主人公たち個々人のライフヒストリーがやや丁寧に描かれる割には、後半の展開へ積極的に寄与していないのも不満の残るところ。(四〇〇)

 

Ank: a mirroring ape

Ank: a mirroring ape

 

 

 

新版 女興行師 吉本せい

 手に取った直接のきっかけは2017年10月現在放映中の『わろてんか』だが、吉本せいについてはずっと気になっていた。だからこの一代記、ようやく読めて良かった。
 ヨシモトと言えば吉本新喜劇である関西出身の自分にとっては、その吉本が第二文藝館という場末の落語小屋から始まったこと、漫才が「万歳」であり、サラリーマンのための娯楽芸能として発明されたこと、立役者がエンタツアチャコであったこと、何かも知らず、であるが故にとても新鮮だった。
 著者の筆致は、吉本せいという人間への愛憎が混交しているように思う。成功者への安直な肯定礼賛ではなく、かといって無思慮な貶めだけを綴っているわけでもない。読み始めは「もっと素直に褒めれば」と感じたが、終盤に至ると漂う哀感に読む心持ちがシンクロするようになった。見たこともない時代への郷愁だったのだろうか。あるいは大阪という土地そのものへの今更生まれた憧憬だったのか。(四〇〇)