ヨンマルマル

四百字詰原稿用紙一枚分の雑記

女の一生

 新劇、というらしい。そんなことも知らないで観たのかと言われそうだが、そんなことも知らないで観ました。明治の終わり、日露戦争の旅順陥落の日に拾われた少女が、やがて女実業家として身を起こしていくが、愛する人とは一緒になれず、後に連れ添った旦那とは別居。親族にも娘にも去られて……という「女の一生」が描かれる。あらすじを書き出すと実に「朝ドラ」的だ。というか逆で、朝ドラが「女の一生」リスペクトでつくられているのだろう。モーパッサンとは関係ない。
 良いなあと感じたのは台詞回し。明治言葉や大正、昭和の言葉。もちろんそのまま再現されているわけではないないのだろうが「ごめんしてください」など、今では使われない言い回しがノスタルジックで素敵だった。また、劇中で出てくるダンス「カドリイル」は、四組のカップルがスクエアになって踊る社交ダンスだとか。あ、いちおうカップルは四組出てくるのか……。(死者も含めれば)(四〇〇)

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誤解

 アルベール・カミュ原作。稲葉賀恵演出。帰郷した放浪息子が、母と妹に「誤解」から殺されてしまう物語。
 カミュ自身の代名詞ともなっている「不条理」とはどういう意味なのだろうか。日本国語大辞典「不条理の哲学」の項目では、カミュの思想とした上で「意味も希望も見出せないという人生の不条理」を、「克服できないのに克服しようとして努力」することの強調に哲学性を見い出す、とある。この『誤解』は、正にこの説明通りの作品と言える。
 かつて『異邦人』を読んだ時にも朧げに感じたことだが、カミュは不条理を嫌がっているわけではないように思う。とはいえ、好んでもいないだろうが。むしろ、不条理に殊更抗ってみようとしたり、神の所為にして難詰する人間を非難しているような。ただ、そこをあえて見せることに残酷な悪趣味さもあるのかな。迷える子羊の救済を明確に拒否する終劇直前の神の宣告には、いっそ清々しい気持ち良さを感じるから。(四〇〇)

チルドレン

 メルトダウンした原発というカタストロフに直面した、たった三人の登場人物によるシンプルなお芝居。ルーシー・カークウッド作、演出は栗山民也。栗山演出は1月に『アンチゴーヌ』を観ていて。観劇初心者の自分には言語化するのが難しいのだけれど、頭のどこかで「演劇ではこういうものが観たい」という(勝手に思い込んでいる)ものをストレートに見せて頂いている、そんな感想を持っています。完全には映像的でない物語の提示、とでも言えばのいいだろうか。
 パンフレットを開いたところに書いてあるセリフ、「世界が完全に崩壊しないためには、わたしたち、ただ欲しいからって何もかも手に入れるわけにはいかない」は、ズズンとに心に落ちてくる。あるいは10代や20代の頃であれば、欲しいものを欲しいだけ欲しがって何が悪い? と居直っていたかもしれない。まあ30代になっても少しあるけれど。だから何が本当に欲しいものか、知ることは大事だ。(四〇〇)

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シェイプ・オブ・ウォーター

 異類婚姻譚。あるいはマイノリティの寓話。想像していたよりストレートでシンプルな物語だった。感動したか? と問われると、答えるのはとても難しい。おそらく自分には「マイノリティが抱える性愛の問題、生活の問題」に対する想像力が圧倒的に足りないのだろう。
 結果的に、作品の主題よりも細部、特に美術へ関心が向かった。まずなんともレトロなイライザのアパート。彼女の隣人ジェイルズが観ているテレビ番組。研究所の内装も良かったな。どれぐらいリアルな1960年代のアメリカだったのかはわからないけれど、色使い、小物のデザイン、光の加減、どれもが非常にお洒落だった。あとは本当にこれも主題ではないけれど、イライザとジェイルズが「どういう関係なのだろう?」と観客に謎掛けをしてくる前半戦の方が、楽しかったような気も。半魚人(?)の彼が何を考えているのか結局分からなかったのが、いまいちのめり込めなかった理由かもしれない。(四〇〇)

 

ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ

 2016年に本作を映画化した『裏切りのサーカス』を観ている。正直、ストーリーがほぼほぼ理解できなかったと記憶している。その後、仕事の関係で「キム・フィルビー事件」を頭に叩き込まねばならない状況になり、ようやく全体の概要が掴めた。英国情報部〈ケンブリッジ・サーカス〉に身を潜める二重スパイ〈もぐら〉を炙り出す、それがあらすじだ。この二重スパイという存在がとにかく難解であることが、読解を阻害しているように思う。
 いや、そもそもスパイという存在自体が、2010年代後半に生きる我が身からは想像し辛いのかもしれない(卑近な問題にばかり関心が向くからか?)。ただ、そこからまた一周回って、現状の国際情勢は新冷戦とも呼びうる状況に突入している。であれば、5年先10年先に読み返せば、また違う感想を持つ、のかも知れない。
 国際政治に関わる知識もさることながら、ロンドンの地理に明るいと、楽しみ方が変わるかも。(四〇〇)


【追記】
ティンカー(鍵屋)、テイラー(理髪師)、ソルジャー(兵士)、プアマン(貧者)、ベガーマン(乞食)……というコードネームはカッコいいし、情報部と書いて「サーカス」と振られるルビもカッコいい。ただ本当に本当に、分かりやすくお話が進んでいかない……。池上冬樹氏の解説の中で、本作に影響を受けた作品として『ハルビン・カフェ』が出てくるが、お話の主筋を追い難い、という意味で両作は共通しているようにも思う。かといって、本作や『ハルビン・カフェ』のような作品が嫌いかと言うと、むしろ真逆だ。仄暗い黄昏の中を男たちが這いずり蠢く小説には、やはり無類の魅力がある。特に、諦観と嘆息を武器にもぐらを追い詰めていく主人公スマイリーは、とんでもなくカッコいいのだ。

ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫NV)

ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫NV)

 

沖縄スパイ戦史

 沖縄戦において、徴兵前の就学児童が兵卒として動員された歴史があった。「護郷隊」と呼ばれたそれは、陸軍中野学校の情報将校によって指揮された。少年兵だ。本作は、かつて護郷隊であった人々の中で、まだご存命である方へインタビューを行ない、そこで得られた貴重な証言をもとに構成されたドキュメンタリー作品である。
 鉄血勤皇隊ひめゆり部隊の悲劇は、知識として知ってはいた。しかし護郷隊のことは全く知らなかった。まず、実際にあった歴史の一端を知ることができ、良かったという言い方が適切がどうかわからないが、良かった。証言をされた方々と、本作を制作された三上智恵さんと大矢英代さん(およびスタッフのみなさん)に、とにかく感謝を申し上げたい。
 戦争ができる、戦争がしたい、戦争をせねば! と考える人は全員、本作を観て欲しい。観終わって、自分自身が小銃を構えてブーツを履き、ジャングルに潜むことを真剣に考えて欲しい。(四〇〇)

タクシー運転手 〜約束は海を越えて〜

 ポスターのソン・ガンホさんの笑顔に騙されてはいけない、これはタクシー漫談ではない。仕事の関係で薦められてユジク阿佐ヶ谷にて。1980年に韓国で起きた光州事件という民主化弾圧と虐殺事件、その実態を取材しようとしたドイツ人記者(トーマス・グレッチマン)と、彼を乗せて現地入りしたタクシードライバーソン・ガンホ)のお話だ。実話をもとにしたフィクションである。
 何かが起こっている、しかしその何かがよくわからない……という演出が秀逸。主人公たち(タクシードライバーと記者)は、中盤まで何が起こっているのか把握できていない。そればかりか、光州の人たち自身も実は、何が起きているのかわかっていない。だから、緊張感のない日常描写と銃声や軍靴が、劇中で思わぬ交錯をする。
 実際に事件や事変、あるいは戦争が起きるとき、私達はどれぐらい自覚的であれるのだろうか。本作は「あなたは気づけますか?」と、鋭く問うてくる。(四〇〇)