ヨンマルマル

四百字詰原稿用紙一枚分の雑記

沖縄スパイ戦史

 沖縄戦において、徴兵前の就学児童が兵卒として動員された歴史があった。「護郷隊」と呼ばれたそれは、陸軍中野学校の情報将校によって指揮された。少年兵だ。本作は、かつて護郷隊であった人々の中で、まだご存命である方へインタビューを行ない、そこで得られた貴重な証言をもとに構成されたドキュメンタリー作品である。
 鉄血勤皇隊ひめゆり部隊の悲劇は、知識として知ってはいた。しかし護郷隊のことは全く知らなかった。まず、実際にあった歴史の一端を知ることができ、良かったという言い方が適切がどうかわからないが、良かった。証言をされた方々と、本作を制作された三上智恵さんと大矢英代さん(およびスタッフのみなさん)に、とにかく感謝を申し上げたい。
 戦争ができる、戦争がしたい、戦争をせねば! と考える人は全員、本作を観て欲しい。観終わって、自分自身が小銃を構えてブーツを履き、ジャングルに潜むことを真剣に考えて欲しい。(四〇〇)

タクシー運転手 〜約束は海を越えて〜

 ポスターのソン・ガンホさんの笑顔に騙されてはいけない、これはタクシー漫談ではない。仕事の関係で薦められてユジク阿佐ヶ谷にて。1980年に韓国で起きた光州事件という民主化弾圧と虐殺事件、その実態を取材しようとしたドイツ人記者(トーマス・グレッチマン)と、彼を乗せて現地入りしたタクシードライバーソン・ガンホ)のお話だ。実話をもとにしたフィクションである。
 何かが起こっている、しかしその何かがよくわからない……という演出が秀逸。主人公たち(タクシードライバーと記者)は、中盤まで何が起こっているのか把握できていない。そればかりか、光州の人たち自身も実は、何が起きているのかわかっていない。だから、緊張感のない日常描写と銃声や軍靴が、劇中で思わぬ交錯をする。
 実際に事件や事変、あるいは戦争が起きるとき、私達はどれぐらい自覚的であれるのだろうか。本作は「あなたは気づけますか?」と、鋭く問うてくる。(四〇〇)

カメラを止めるな!

 ライムスターの宇多丸さんが誉め、伊集院光氏もラジオで激賞。「観に行かないという選択肢がない」という謎のプレッシャーに駆られ、公開劇場が増えたタイミングでTOHOシネマズ新宿にて。
 とにかく「映画が好き」という愛に溢れ返った作品だった。撮るのも観るのも演るのも好きだからつくりました! と叫ぶ監督の、演者の、スタッフのパトスがスクリーンから迸ってくる熱作。こんな風に愛される映画は幸せだし、自分も自分の仕事を負けないように愛してみたいものだと、しみじみ思う。いや、そうせよと背中を蹴飛ばされているのだろう。
 ネタバレなしで感想を述べるのが鑑賞後のお作法のようなので、ふわっとしたことしか言えないのだけれど、対象が概念でも愛の言葉は届くことを本作は証明してくれている。
 鑑賞後に思い出したのは『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』と『木更津キャッツアイ』だということを、いちおう付記。(四〇〇)

寒い国から帰ってきたスパイ

 ル・カレ初読。007をはじめとしたスパイもののプロットの教科書のような作品だった。

・汚名をそそぐために頑張る主人公
・日常世界を象徴するヒロインとのロマンス
・ライバルとの友情
・拷問
・愛と死

 箇条書きすると、以上のような。
 21世紀に読むと斬新なのは、冷戦当時にはマジでインターネットもスマホも何もなかったことで。作中世界は1950年代末から60年代なので、諜報資金の送金すらアナログで。そりゃ疑心暗鬼にもなるし騙し騙されの世界にもなるなあと、変な感慨が。
 読みやすい作品ではないし、ジェームス・ボンドみたいなアクションはない。むしろ全体の半分ぐらいは尋問と供述の描写である。辛いといえば辛い。ただ、ラストシーンをはじめ、いくつかのシーンは名画そのもののように美しい。行動や思想がアナログに制限されている時代だからこそ、発揮される美しさ。その美しさを楽しむために読むのも、良いのかな。(四〇〇)

 

寒い国から帰ってきたスパイ (ハヤカワ文庫 NV 174)

寒い国から帰ってきたスパイ (ハヤカワ文庫 NV 174)

 

 



万引き家族

 何が凄いって「万引きなどしなくても生きていける」家族を描いていること。観終わって、感想漁りをしているときにそのことを教えられて「うわああ」となりました。「万引きしないと生きていけない貧困層」の物語ではない。だからこそ余計に、苦しい、醜い、美しい。
 綺麗は汚い、汚いは綺麗の極致。家族が住んでいる陋屋の汚いこと美しいこと。浴室の造形すごかった。あとは夏と素麺とセックス。ただただ圧倒されました。すべてが良すぎる。
 キャストは全員超絶技巧でしたが、ナンバーワンは安藤サクラ。「捨てたんじゃない、拾っただけ」という作品テーマそのものであるセリフは重い(対峙しているのが池脇千鶴だということにも、ゾクゾク)。また、何も喋らないときの瞳の演技にも震える。
 こうした作品が「日本の映画」として世界に公開され、かつ大きな評価を得ていること、誇りに思います。万引きから生まれた家族だから、偽物なわけでは、ない。(四〇〇)

未来のミライ

 シンプルにつまらなかった、というのが最大の感想だ。ものすごくわがままな四歳児が主人公の、ややファンタジー風味がまぶされたホームビデオ。他所のご家庭の育児に興味は持てなかった……。
 本作を観て考えたのは、自分は映画館で何を観たいのだろうか、ということだ。血湧き肉躍るアドベンチャーや誰もが涙するラブロマンス、そうした活劇だけを観たい……わけではない。リアリティ志向の映画だってドキュメンタリー映画だって、観たいときはみたい。ただ、この『未来のミライ』には自分が観たいと感じさせられるものがなかった。皆無だった。(未来の東京駅の造形は素晴らしかったが、あくまでそれは部分だ)
 細田守監督は、この作品を誰に向けてつくったのだろうか。誰に見せたかったのだろうか。この映画を観た人に、どうして欲しかったのだろうか。分からない。未だに分からないし、そこから来るイライラが、観ている間、ずっと付きまとっていた。(四〇〇)
  

彼女がその名を知らない鳥たち

 蒼井優がクズ女を演じ、相手役を阿部サダヲが務める。それだけで観たかった作品。
 期待は裏切られず。生臭くて温かい、腐臭がプンプン漂う映画だった。
 綺麗、美しい、カッコいい。他人に自慢できる何かに囲まれて生きていたい、などと考えるのが人間の性。けれど、綺羅綺羅なだけではいられない。だって私たちは、飲んで食って性交する糞袋だもの。かつ私たちは面倒臭い脳味噌のある生き物なので、物事が常に反転する。きれいはきたない、きたないはきれい。だとしたら、人を愛することは、きれいなことか、きたないことか……どっちなのか。本作は問うてくる。
 セックスシーンと食事のシーン、それぞれのバランスがみごと。中でも強く残るのは、かきあげうどんやすき焼きなど、日常的な食事シーンだ。朝井リョウがラジオで言っていた「食事をする光景を人に見せるのは、セックス見せるのより恥ずかしい」という言葉が、ようやく理解できた気がする。(四〇〇)